東京高等裁判所 昭和35年(う)1409号 判決
被告人 杉山純三
〔抄 録〕
被告人及び弁護人の各控訴趣意中原判示二の窃盗の事実誤認を主張する点について
所論の要旨は、原判示二、即ち、被告人が、昭和三十四年八月下旬頃の午前五時三十分頃、静岡市両替町二丁目チヤツキリ横丁西側入口路上で、被害者氏名不詳者の所有にかかる黒色男乗自転車一台(価格金三千円)を窃取したとの事実(本件公訴事実中昭和三十五年四月十三日付起訴状別紙番号2の事実に該当)については、被告人は、警察や検察庁においても、また、原審公判廷においても、これを認めて来たが、これは、被告人が窃取したものではなく、被告人が、昭和三十二年秋頃被告人が古物行商に従事中、静岡市伝馬新田の伏見という大工の家で同人から買つたものであり、買受当時その自転車は、スリブレーキ、半ケース、ハンドルは直の一本であつたが、被告人が乗るようになつてから、古物の問屋から部品を買い集め、全ケース、ハンドブレーキに直し、ハンドルは原判示一の国輸号の自転車のハンドルと付け換えたものである、原判示のように、同窃盗事実の被害者は不詳であり、同事実に関する証拠としては、被告人の自白以外には、右自転車の存在と司法巡査河原甲子寿外一名作成の「自転車盗難被害者不明について報告」と題する書面だけである、十余に及び自転車の窃盗事実を全部認めて来た被告人が、あえて右原判示二の事実だけを真実に反して否認するとは考えられない。また、地方小都市において自転車を窃取されれば、被害者は容易に判明するはずであり、本件においても、右原判示二の事実以外は全部被害者が明らかになつているのに、右事実だけについては被害者が明らかになつていないことは、被告人の弁解が真実であることを裏書きするものであるというのである。
よつて、記録を調査すると、原審は、昭和三十五年三月十五日付及び同年四月十三日付各起訴状記載の十六個の自転車窃盗の事実を認定したのであるが、そのうち、所論の原判示二の事実を除くその他の事実については、それぞれ、被害者の氏名が明示され、その証拠として、被告人の原審公判廷における自白とともに、それぞれ関係被害者の各被害届が挙示されているのに反し、右原判示二の事実については、被害者は氏名不詳者となつており、その証拠としては、被告人の原審公判廷における自白のほかには、押収してある自転車一台(原審昭和三十五年領第十二号の証第一号)及び司法巡査作成の「自転車盗難被害者不明についての報告」と題する書面が挙示されているに止まることは、所論のとおりである。よつて進んで、被告人が原判示二の事実につき当審に至つて初めて主張するに至つた右自転車は、自己が他人から買い受けたもので、窃取したものではないとの弁解の当否について考えてみると、当審における事実の取調として尋問した証人伏見徳治及び同伏見次昭の当公廷における各供述によれば、静岡市伝馬町新田五百一番地に住み、大工を職業としている伏見徳治が、昭和三十二年頃、当時、静岡市内で古物行商をしていてかねてから顔見知の被告人に対し、自己の次男次昭が従前通学用に使つていたが不用になつた中古の黒塗りの自転車一台を金四百円で売り渡したことがあること、右自転車は乗れないものではないが、方々に瑕があり、タイヤも後の方は穴が開き上からゴムを貼り付けたため乗るとゴクゴクするものであつたことが認められる。押収にかかる自転車一台(原審昭和三十五年領第十二号の証第一号、当庁昭和三十五年押第九七七号)が、右の被告人が買受けた自転車であることは、右証人伏見徳治及び同伏見次昭の各供述だけでは確認できないが、右各供述と当審における事実の取調に基く被告人の当公廷における供述とを総合すれば、被告人は、伏見徳治から買い受けた自転車を修理したり改造したりして使用して来たもので、押収にかかる自転車は、被告人が伏見から買い受けて修理改造したものと推認されるのである。そして、この推認と原判示二の事実については、被害者の氏名が明らかとなつていないこととを併せて考えると、被告人の警察、検察庁及び原審公判廷における自白は措信できないこととなり、前記被告人の弁解を排斥するに足る資料はないものといわなければならない。以上判断のとおり、原判示の窃盗事実の認定には、事実の誤認があるものと認められ、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであると考えられるから、論旨は理由がある。
(下村 高野 真野)